2010年 01月 08日
静かにロウソクの火が消えていきました・・
(1月7日の夕日に浮かぶ富士山です。) 皆様に年賀状や年賀メールいっぱい頂きありがとうございます。 何方にもお返しすることが出来ずに心が痛みましたが、松も過ぎましたのでご報告させて頂きます。 明治45年6月9日生まれの母が暮れの30日夜にロウソクが燃え尽き他界しました。 満齢97歳6ヶ月と21日、大往生でした。 亡くなる前日の29日、何かに引かれるように母に会いに実家に行きました。 行きに父の墓前にお花を添えてザッと落ち葉を拾い、 線香あげて手を合わせてから母の所に向かいました。 実家で兄夫婦が母を見てくれています。 着くなり兄が「ここ何日か急に弱ってきて春まで持たないかも・・」と。 良く寝ていましたが姉が起こしてお昼を食べさせるからと・・。 兄夫婦で母に声をかけ起こし、兄が抱きかかえて車椅子に乗せます。 プリンと小さなクリーム入りのワッフルを野草のジュースとお茶に絡めて 1時間ほどかけて「頑張れ、頑張れ」と励ましながら口に入れては背中をさすり食べさせる様は感謝と言う言葉の他は思いつきません。 母は怪我以外には一度も入院や入所もさせず自宅介護でした。 亡くなる日に救急車で近くの総合病院に連れて行き点滴など受けたようですが 様態が変わらないからと家に連れ帰り兄嫁が「頑張ったね〜」と声をかけたら声を出して笑ったそうです。 それからまもなくの旅立ちでした。 (父の88歳米寿のお祝い、母80歳の両親です) 父の時も90歳を過ぎたお盆の前日、母もお正月前だったので自宅で子供や孫達に見送られての葬儀でした。 お坊様が来て下さりお通夜、葬儀、火葬場とご一緒して下さり母を送ってきました。 お坊様が満齢97歳、享年98歳は去年2番目の高齢者だと仰っておられました。 母に「ここまで命を全うなさっておめでたいです、97年間ご苦労様」と声掛けて下さり涙が出ました。 主人は31日に母に会いお線香を立てて手を合わせてきましたが、 疲れたのか翌日から体調が悪くなり家で休んで貰い娘と2人で参加でしたが 昨日から少しずつ回復してきています。 娘は母にとても可愛がられていたので涙していましたが、 冷たくなった母の顔に綺麗にファンデーションをぬってあげていました。 眠っているように安らかな顔をした母でした。 我が儘な母を可愛いと言って最後まで看て下さったお姉さん、ありがとうございます。 決して丈夫では無いのに最後まで母を看取ってくれたお兄ちゃん、ありがとうございます。
by bumom
| 2010-01-08 00:32
| つぶやき・・
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